#36 : コンスピラシー − 優秀な官僚たちの犯罪

 極めて無能な上司のもとで働いたことがある。その名を K という。
 物事を知らない。社会的常識がない。上の顔色ばかりうかがう。下の者の気持ちなど、察する気も能力もない。指示は支離滅裂、彼のいう通りに仕事をしては、まとまるものもまとまらない。なのに、逆らうと権力をちらつかせる。
 箸にも棒にもかからない男であった。

 

 

(余談)
いや、恐ろしくてこれ以上は書けません。
まだ、いるのです、この世の中に、彼は。しかも、私の仕事と、ほんのちょっぴり関連する部署に。
無粋な男ですから、まさか、その男がこの日記を読んでいるとは思えませんが……。

 

 夜、職場の仲間と酒を飲む。私は当時、平社員のリーダー的な立場にあった。

 「礼人さん、聞いてくださいよ。今日 K がね……」

 「その程度だったら、まだましだよ。たいしたことないじゃん。だってさ、今日ね、K が言うんですよ……」

 

 

(注)
敬称抜きであることに注目されたい。

 

 最初のビールに口を付けるより早く、若者たちは愚痴をこぼし始める。いや、悪口雑言の限りを尽くし始める。お互いの話が刺激剤になる。話は時を追って過激になる。止まらない。
 
 「おいおい、そんな話ばかりしてると酒がまずくなる。ま、憤懣がたまっているのは分かるが、あいつの話は最初の15分だけにしようぜ。15分間、思いっきり悪口を言え。15分たったら、仕事の話でもいい、女の話でもいい、家族の話でもいい、もっと楽しい話をしようじゃないか」
 
 リーダーの立場を充分すぎるほどわきまえている知恵者の私は、若者たちの暴走を止めに入るのが常であった。が、止めに入ったはずの私が、
 
 「いや、君たちの話は分かる。ホント酷いよな。実は、今日ね、K がやってきてさ……」
 
 と、いつの間にか彼らの仲間に入る。こうして、15分のはずが1時間に及ぶ。この常態は、彼の転勤まで継続した。
 私も職場では、酒を飲みながら上司の悪口を言う、単なるサラリーマンに過ぎなかった。
 
 だが彼の場合は、幸いなことに、広く迷惑を及ぼすには能力が不足していた。どれほど奇矯な振る舞いに出ようとも、せいぜいのところ、
 小人閑居して不善を為す
 の類でしかなかった。
 
 「コンスピラシー アウシュビッツの黒幕」には、K のような無能な人間は登場しない。これはナチスドイツが誇る知的エリート15人が参加したヴァンゼーにおける秘密会議を再現した映画である。
 この会議で、ユダヤ人を根絶やしにする計画が決まった。
 
 ユダヤ人を根絶やしにする。その非道さはちょいと脇に置いておくが、実行となると、様々な問題がある。

 

そもそもユダヤ人とは何か。
ユダヤ人とドイツ人の結婚から生まれた2世はユダヤ人なのか。
既存の法に照らして整合性はあるか
1000万人を越すユダヤ人を根絶やしにする手法にはどのようなものがあるか。
そのコストはどうか。
それぞれの計画は実行可能かどうか。

軍事工場で働かせているユダヤ人まで根絶やしにした場合、生産計画に悪影響は出ないか。

 

 こうした、ユダヤ人根絶やしに伴うあらゆる側面を、知的エリートたちは実に冷静に、綿密に、誠実に、議論をする。彼らは衆に優れた知力を認められた人々なのだ。持てる知識、頭脳、経験を総動員して、課題に対して最も優れた解答を紡ぎ出す。時にはジョークを飛ばしながら、自説を主張するときは激しながら、粛々と協議する。
 
 収容所にユダヤ人を集め、シアン化ガスで殺す。それが結論だった。遺体は産業用のガス・オーブンで焼く。コスト、人手、処理能力。どれをとってもベストの選択であった。こうして、歴史に残る戦争犯罪が立案された。
 
 歴史を揺るがした悪は、人の心の中に住む悪魔が具体的な形を取った悪逆非道な戦争犯罪は、頭の狂った人たちが計画・立案・実行したのではなかった。恐らく、家庭では愛情に溢れた厳格な父として、職場では仕事のできる上司として、多くの人たちの信頼と尊敬を集めてきた人たち、選りすぐられた知的エリートたちの知恵の結晶だったのである。
 最悪の犯罪を犯すには、最高の知性がいる。

 

 

(余談)
私のような凡才が、K・M のような鈍才が参加者に含まれていたら、結論は違っていたかも知れない。
ま、そもそも我々程度の人間が、そのような重要会議に呼ばれることはありえないが。

 

 1939年9月、ドイツ軍がポーランドに攻め入った。第2次世界大戦の勃発である。以来、ドイツ軍は破竹の進撃を続けた。そのドイツに暗雲がかかり始めたのは、1941年だ。6月、モスクワへの侵攻を始めるが冬の到来で苦戦し、おまけにアメリカが参戦した。
 翌1942年1月、ベルリン南西部のヴァンゼーに15人のナチス高官が密かに集まった。招集したのは親衛隊高官で国家保安本部長官、ボヘミア・モラヴィア担当のラインハルト・ハイドリッヒ。参加者に配られた書類は、複写・持ち出しが禁止される。完璧な秘密を求められる会議なのである。
 
 ドイツで、設備上の問題からユダヤ人の収容が困難になりつつある。なにの、欧州各国はユダヤ移民の受け入れを渋っている。ユダヤ人が援助を続けてきたアメリカでさえ、欧州各国と同じ動きを見せている。このような状況下で、ゲーリング元帥による
 
 「組織的かつ経済的問題を鑑み、ユダヤ人問題について然るべき解決策を採るよう指示する。ヨーロッパのドイツ領地のみならず、全ヨーロッパ大陸を浄化すべし。他の政府組織が関係する地区では協力し、このユダヤ人問題を望ましい解決に導いてほしい」
 
 という指示に基づき
 「ユダヤ人の最終的解決」
 を図る方策を決める。それが会議の目的だった。
 
 会議の冒頭、解決すべきユダヤ人の数が報告される。
 ドイツ国内 13万2000人
 オーストリア 4万3700人
 東方の占領地 42万人
 その他統治地区 228万4000人
 ピアウィストック 40万人
 モラヴィア 7万4200人
 エストニア ゼロ
 ソ連 500万人
 
 これらを合わせ、地球上の「選民(chosen people = ユダヤ人)」は1100万人以上に上る。これまでは移民(emigration)政策で対応していたが、これからは退去(evacuation)で臨む。これが基本方針である。その実行方法を巡って議論が始まる。
 
 まず、ハイドリッヒが提案する。

 「ユダヤ人を性別と健康度合いで分け、健康な男子は東部で道路工事などに使ってはどうか」
 
 内閣官房のクリツィンガー博士から直ちに反論が出る。
 
 「計画は実行不可能だ。ロシアの500万人で農業従事者は10%のみ。あとは都市労働者、商人、役人、医者や作家などが33%おり、全体の7割方はペンより思いものを持ったことがない」
 
 まだまともな反論である。ナチス高官にも正常な感覚を持った人間がいたのかと思わせる。
 しかし、ハイドリッヒは、この反論を一言で切り捨てる。
 
 「だからこそ過労死も増えるじゃないか」
 
 次に、地域別の情勢分析に移る。
 同盟国イタリアはユダヤ人「退去」に踏み切るか? これもハイドリッヒが答える。
 
 「彼らについては神頼みだ。フランスは占領地域以外も『退去』に協力的だ」
 
 これを引き取って、外務担当ルターが続ける。
 
 「スカンジナビアでもユダヤ人の『退去』は難しい。兵力を使おうにもロシア戦線に投入済みだし、国民も非協力的だ」
 
 ほかの地域は?
 
 「バルカン諸国や南東、西欧では……」
 
 ワインを口に運びながらしゃべっていたルターが、そこまでしゃべって突然叫んだ。
 
 「美味い!」
 
 彼らが議論をしているのは、1100万人を超すユダヤ人を皆殺しにする計画である。だが、彼らにとっては、思わずワインに気を取られて「美味い」と叫んでしまうほどの話でしかない。目先の課題に全力を挙げて取り組み、最高の成果を上げながらも、新しい事態には直ちに反応できる。このゆとりが知的エリートの証である。
 
 次の議題は、どの範囲の人間をユダヤ人と定義するかだ。ドイツ人とユダヤ人が結婚して子をなしているケースもあるのだ。

 

第1級の非純血 :

 祖父母の2人がユダヤ人である人間、およびその子供。
例外 :

 第1級がドイツ人と子供を作れば免責
 その際、子供は第2級となりドイツ人扱い
 国が特に認定したものも免責

第2級の非純血 :
 4分の1ユダヤ人の血が混じっていてもドイツ人
例外 :

 両親ともにハーフなら子供はユダヤ人
 ユダヤ人の血が4分の1以下でも容貌がユダヤ人ならユダヤ人

 

 そして、ユダヤ人は殺す第1級の非純血は去勢する、と処置が決まっていく。
 
 いくつかの異論が出る。真っ向から反対したのは内務省のストゥッカート博士だ。
 
 「同意できない。不妊処理は有効な方法ではあるが、法で禁じている事項のすり替えであり、一時しのぎの法解釈だ。ユダヤ人に見えるとか、らしいとかという主観的な評価は本人の主張にも左右される流動的なものだ。これはニュルンベルグ法の誤用といわざるをえない。役人の間でこねくり回された結果だ。単純に、全員不妊処理とすべきだ」
 
 まともな反論、だろうか?
 なるほど、あくまで法に従えという主張は、論理的整合性において際だっている。曖昧さの排除も法が求めるもので、その限りにおいては全く正しい。役人が、あるいは民間企業の官僚どもが問題を自分たちの都合のよいようにこねくり回すのも、現代に通じる組織の悪弊だ。
 だけど、全く正しい推論の結果が、「全員不妊処置」なのである。
 それって、どこかおかしくないか?
 
 ストゥッカート博士はさらに、法的手続きについても反対論を展開する。
 
 「ユダヤ人を連行する場合、配偶者のドイツ人はユダヤ人の財産を得るが、『退去』すなわち『死亡』と認めるのか? どう呼ぼうと、殺したとばれる。相続でなく離婚もある。その場合、残るドイツ人のために離婚システムが必要になる。退去前に相続するなら裁判所は手続きで大忙しとなり、24時間態勢でも他の訴訟は数十年待ちになってしまう」
 
 だから、ユダヤ人の抹殺ではなく、去勢という手段を執るべきだというのがストゥッカート博士の主張なのである。彼は大真面目なのだ。途中でチャチャを入れた党代表のクロプファーに向かって、
 
 「私がしゃべってるんだ!」
 
 と大声で一喝するほどの熱の入れようなのである。
 だけど、1100万人を超える人間を、法律に基づいて全員去勢する? ヘンなのである。おかしいのである。ストゥッカート博士のように論理的整合性に重きを置き、鋭い知性で矛盾や曖昧さ、遂行過程における課題などに目を配る「良心的」俊秀でも、そこまでしか考えつかないのである。
 そもそもの無理は、1100万人を超えるユダヤ人を根絶しようという計画自体にあるのではないか?
 とは、寸毫も疑わないのである。
 
 こうして、ストゥッカート博士をもっとも良心的な存在としながら会議は進む。他のメンバーは、不妊処置の話題がでると、
 
 「その装置、手に入る?」
 
 「女遊び用に」
 
 「私は処置済みだ」
 
 と下卑たジョークを飛ばす輩なのだ。会議の流れは推して知るべしである。

 

 

(余談)
私は、下卑たジョークが嫌いではない。だが、そのような笑いには時がある、所がある、相手がある、と考える正常さを保っている。と思っている。

 

 だが、ハイドリッヒから見ると、ストゥッカート博士程度でも充分に危険分子に見える。休憩時間にストゥッカート博士を屋外に誘い出したハイドリッヒは、表情も変えずに言う。
 
 「戦争が続けば、SSは予定通り非協力的な者の名をリストアップします。SSであなたに同意する者が多いとは思えない。あなたの協力がほしい」

 

 

(注)
SS = Schutzstaffel、ナチス親衛隊。ヒトラーの個人的ボディーガードから発展した。

 

 吸っていたタバコを放り投げたハイドリッヒは、ストゥッカート博士の返事も聞かずに屋内に戻った。脅迫である。
 
 こうして反対者は押しつぶされ、議題は方法論に移る。全土統治担当のマイヤー博士がガスの有効性を説明する。
 
 「1時間にトラック一杯の人を押し込み、ガスで満たし、死体を運び出し、屎尿を排除、24時間態勢で1440人かけるトラック20台で1日2万8800人、年間1051万2000人だ。だが、この処理速度を保てるか? 廃棄も問題だ」
 
 アイヒマンが引き取る。
 
 「産業用のガス・オーブンで残余物も出ません」
 
 参加者が一斉にテーブルをたたき出す。賛意の表明である。
 
 「流れ作業だ!」
 
 「賢きアメリカ人の産物をドイツ人のためにな」
 
 「ダーウィンも度肝を抜かれる人類の進歩だ!」
 
 こうして、満場一致でガス室を使ったユダヤ人絶滅計画が決まった……。
 
 身の毛がよだった。いや、この、人類史上もっとも恥ずべき犯罪についてではない。ドイツでも、恐らく最優秀の頭脳を備えていたに違いない彼らが、歴史に残る犯罪者になってしまったことにゾッとしたのである。
 彼らは、最優秀な官僚だったから犯罪者になったのだ。
 
 国家であれ、企業であれ、官僚制なしで運営するのは不可能である。どれほど優れたトップでも、1人では組織を運営できない。トップの意をくんで実際の運営に当たるスタッフが不可欠だ。官僚制が必要なのである。
 
 官僚とは、組織の基本方針を、できる限り速やかに、効率よく、摩擦を抑えて、最低のコストで遂行することを基本的な機能とする。そのため、国家であれ、企業であれ、最優秀といわれる人間が構成するのが常である。そして、実質的には彼らが組織を、国家を動かす。
 
 ヴァンゼーに集まった15人は、ナチスドイツの最優秀な官僚たちだった。だから、訳も分からずにヴァンゼーに集まったのにもかかわらず、ヒトラーの「ユダヤ人追放」という基本方針を最も効率よく遂行する手だてを、わずか半日もかけずにまとめ上げた。
 仕事としてみる限り、これ以上見事な能力の発揮の仕方はない。
 だが、官僚には限界がある。優秀な官僚であろうとすれば、基本方針に疑問を持つことはタブーなのである。いちいち疑っていては、基本方針のすみやかな遂行の支障になる。それだけで、官僚としての資質を疑われる。だけでなく、いずれは邪魔な存在として追い払われかねない。追い払われた官僚はタダの人でしかない。
 官僚として能力を認められ、より枢要な職務を我が手で進めるには、基本方針を疑ってはならない。
 ヴァンゼーに集まった15人は、間違った基本方針を遂行する精緻な計画を練り上げた。最優秀な官僚だったから最悪の犯罪者になった
 
 どうです、ゾッとしませんか? だって、あの国だって、この国だって、我が国だって、あの会社だって、あなたの会社だって、我が社だって、官僚が動かしているではないですか!
 
 私は、収入の面では不幸にして、仕事の面では幸いにして、「官僚」と呼ばれる立場に立ったことがない。ひとえに、我が能力のなせる技である。
 しかし、会社の中を歩いていると、いるのだなあ、そういう人が! あなたにも思い当たることが、いや、人がいるでしょ? おいおい、何でそんな政策が出てくるんだ? 机上の空論としては成立するかも知れないが、おかげで矛盾は全部現場にしわ寄せされてるんだぜ。そもそも、基本方針がどっか間違ってんじゃあないか? って怒鳴りつけたい奴!
 
 彼らは、悪しき時と、悪しき所と、悪しき指導者を得れば、歴史に残る犯罪を粛々と遂行する。そのような人たちが、至る所にいる!
 
 アウシュビッツはもう見たくない。だが、官僚が跋扈する社会が続いているのに、どうすれば見なくてすむのだろう?
 最悪の時に、最悪の所に、最悪の指導者が出現することなかれ! と神様に祈りを捧げるほかないのかなあ……。

 

 【メモ】
コンスピラシー アウシュビッツの黒幕 (CONSPIRACY)
 テレビドラマ、上映時間96分
監督:フランク・ピアソン Frank Pierson
出演:ケネス・ブラナー Kenneth Branagh
   スタンリー・トゥッチ Stanley Tucci
   コリン・ファース Colin Firth
   ジョナサン・コイ Jonathan Coy
   ブレンダン・コイル
   ベン・ダニエルズ Ben Daniels
   バーナビー・ケイ Barnaby Kay
   デヴィッド・スレルフォール David Threlfall
   イアン・マクニース Ian Mcneice


【初出2005年6月10日】

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